私と50周年 6
■ 浄土真宗親鸞会結成50周年
今も聞こえる、
家庭法話で温かいお言葉
「一生懸命聞いてくださいね」
富山県 吉沢さん夫妻(仮名)
奥さん
「昭和28年ごろ、まだ長男をおんぶしていた時に、姑から、
『あんたもなあ、若い思うとっても人生はあっという間や。仏法聞きに参られ』
と言われ、出掛けたのが、戸出(高岡市)の菊池頼さん宅でした。いっぱいの人やったね。高森顕徹先生は20代、それは大きなお声で、ご説法くださいました。
生家では、私が物心つく前から、母が毎年、布教使を招待してました。一緒に聞くよう言われたけど、その時の布教使は、ぼそぼそと、世間話しかしなかったね。
高森顕徹先生は大違い。ものすごい迫力の説法で、度肝を抜かれた。
実家の母に、
『すごい先生がおられるから、招待しはったら』
と言うと、母は、高森先生をその年からお招きするようになりました。先生のご説法を1ぺん聞いて、ほかの布教使は問題にならんと思うたんやね。それから病で家での法話ができなくなるまで10年間、ずっと高森先生お1人を招待していました。
やがて前田町の会館ができると、家庭法話のお見送りの時に、
『会館に参ってくださいね。続けて聞いてくださいね』
と勧めてくださいました。
会館に出掛けると、やっぱり参詣者でぎっしりでした。お母さまや奥さまも、一緒に聞いておいでましたね」
吉沢さん
「私は演劇が好きで、戸出の芝居小屋に出掛けては、よく時代劇などを楽しんでいました。
昭和40年ごろだったか、母親から、
『あんた、芝居好きやろ。会館で、親鸞さまの劇があるから来なさい』
と言われ、初めて前田町の会館に参詣したのです。
親鸞聖人が、比叡山での大変なご修行の末に、『法華経』の難行に見切りをつけられ、法然上人に会われて、弥陀の本願に救われる場面が演じられていました。
“こりゃあ、何と尊いことがあるものか。聴聞せにゃあかんな”
と、いっぺんで目が覚めたのです。
高森先生は、私のような者のために、劇を作って見せてくだされたのかと、ありがたく思いました」
先生を自宅へご招待
吉沢さん
「うちの両親は昭和49年、ちょうど芳野の会館に移った年に家を新築しました。8畳2間をコの字型に囲む廊下は、幅が6尺(約1.8メートル)もあります。
『これだけ廊下を広くしておけば、この上に畳を敷けるわ』
と、母が言うとりました。建てる時から、高森先生をお招きしたいと思っていたんでしょうね。翌年、お願いしたら、毎年12月に来てくださるようになったのです。
当時、高森先生を招待する家は、近くに何軒もありました。朝昼晩と話されて、その家に泊まられる。翌日、次の家に歩いていかれて、また、朝昼晩と説法されるのです。それは、すさまじいご布教でした」
奥さん
「実家の母が亡くなったあとのことです。親鸞会の弁論大会で、私の長男が、母の死に感じたことを発表しました。
同じ年、この家での法話の時、高森先生にご挨拶に伺うと、
『こないだ弁論したのは、息子さんやね。その中で、“お祖母さん”と言っていたのは、あなたのお母さんのことやね』
と尋ねられました。
『はい、そうです』
とお答えすると、
『お母さん、いくつだったのですか』
『60で亡くなりました』
すると先生が、
『仏法だけは一生懸命、聞いてくださいね』
と言われました。
子供が、いちばん力にするのは母親です。その母を亡くして気落ちしてないかご心配くださったんでしょうか。今も、そのお声が聞こえてくるようです」
夢の聞法道場・2000畳
吉沢さん
「芳野の会館が親鸞会のものになった時には、“でっかい家やねえ”と感じました。
玄関に、一枚板のケヤキの踏み台があって。あれだけでも、相当高価なものです。回船問屋で財を成した人が、有り余るお金をつぎ込んで、ぜいの限りを尽くして建てた豪邸と聞きました」
奥さん
「本堂には、柱がたくさん、立ってたね。柱が目の前にあると、黒板が見えなくなりました。その会館もすぐにいっぱいになって、隣の人と肩が触れ合うほどでした。
地元の私らは、朝早くに会館へ行けるからよかったけど、遠くから来られる方は、すでに満堂になった会館へ入らなならんで、大変やったと思います」
吉沢さん
「今の親鸞会館が建ち、やがて2000畳の正本堂もできた。こんな立派な会館が建つとは、想像もできんかったね。私たちにしてみれば、前田町の会館からほんのしばらくの間に、夢のような建物になったのです。阿弥陀仏のご念力、高森先生のご尽力のおかげです」
* *
吉沢さん
「私は21の時、1年ほど、兵役に就いとりました。鹿児島にある海軍の特攻基地では、1日に3、4回、米軍の艦載機が飛んでくる。山の上の砲台から応戦したが、亡くなった同志もありました。そんな中、生きて帰れたのは、仏法聞くためやったと思います。
敗戦間近に、上官にたたかれて、左耳の鼓膜が破れてしまった。今になると、残された右耳の聴力も衰えて、人の話が聞きづらい。
それでも、音響設備の整った現在の親鸞会館なら、受信機を通して、高森先生のお声はハッキリ聞こえます。
『仏法は聴聞に極まる』ですから、本当にありがたいことです」
奥さん
「先生は、私が聞き始めたころから、縁に触れ、折にふれ、
『聞けよ、聞けよ』
と導いてくださいました。2000畳の奇瑞にあわせていただき、そこで弥陀の本願、聞かせていただける幸せは、50年来のご教導のたまものに違いありません」
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