前田町会館(親鸞会初の会館)
昭和38年の豪雪
Hさん
昭和38年の豪雪の様子
雪が深くて、村の交通が全部麻痺した時がありました。それでも高森先生は福野駅まで来てくださり、主人が馬ゾリでお迎えに行ったこともあります。昭和38年の豪雪の時だったと思います。先生は、帰られる時、
「この分じゃ、雪下ろしせんなんかもしれん」
と言われたのです。その後も、毎日、雪が降りました。
主人は、早速下ろしてさしあげねば、と言うて、先生のお宅へ出掛けていきました。
ご自宅に泊めていただいて、先生に給仕までしていただいて、ほんまに申し訳なかった、と言ってました。
あの時、先生のお子さんも、皆さん小さい時で、屋根に上がって喜んでおいでた。豪雪で、道路の雪が屋根まで積もっていたんです。
阿弥陀如来の慈悲の深さ
午後のご説法が終わったあと、みんな高森顕徹先生のお部屋に行って、帰られるまで、仏法を聞いておったもんです。
先生は、お食事を召し上がられたかどうか、分からんくらい。もう、阿弥陀如来の大きなご恩、お慈悲の深さを話し通しでした。
主人は、しょっちゅう先生のおそばに行っとったもんです。うちでご法話の時は、私は炊事場で忙しくしとるので、主人が先生のお給仕をしました。
ある時、すき焼きをお出ししたら、
「Hさん、あんたも一緒に食べよう」
と言われ、お部屋で先生と一緒に頂いた、と喜んでいました。
仏縁薄い私たちのために、どれだけ時間をかけて調機誘引(私たちの心を調えて、真実の幸福に導いてくださること)してくださったでしょうか。
ご法話前日の座談会は、深夜までされ、仏法の話だけでなく、政治、経済、世界情勢など、ありとあらゆることを話題にされました。
それを縁として、真実の弥陀の救いに近づかせたい、というお心であられたと思います。
「因果の道理を信じなさい」と息子が
ある日、診てもらっていた医者と連れの者が、うちに来たんです。事務を執っているらしいその連れの人が、
「わしは氷見の者で、知り合いが親鸞会に入っていたけど、やめさせたんや」
と言うのを聞くなり主人は、テーブルをたたいて、
「親鸞会がどんな会で、どなたが話されるか、知っているのか!」
と言うた。酸素吸入器をつけておって、言いたいことはあれど、呼吸がひどい。息子が40くらいでしたが、主人の代弁をしました。
「あんたも仏教聞きなさい。因果の道理が説かれているから。それを信じて生きなさい」
息子は仏法聞いとらんやろと思っていたのに、家庭法話で聞いてたんですね。
「父は学問はないけど、いちばん大事な仏教を聞いて、信念貫いてきたから、私は尊敬している―――」
と言うてくれて、医者が帰ってから、「これもみんな高森先生の教導のおかげ」と、主人と2人で喜んでおりました。
病気を押して最期まで
主人は常々言っていました。
「座敷は仏法のために使う場所だ。いつでも使えるようにしておかねばならん」
親戚は、反対していたんです。先祖の50回忌も親鸞会でさせていただきましたが、当日まで、「どうしても親鸞会か。何とかならんのか」ともめていました。主人は、
「本家であろうが、何であろうが真実を知らん者の言うことは関係ない」
と恐れませんでした。
主人が亡くなる何年か前、親鸞会館のご法話で代表施主になり、先生のお部屋に挨拶に伺いました。酸素吸入器をつけており、やっとやっと行ったようです。先生は、
「Hさん、Hさん」
と何度も声をかけてくださった。病気のせいでつらいので、前の方に座れず、後方に座っていたんです。先生は、「広瀬さん、どうしとったんや。しばらく見なかったけれども……」とお言葉をかけてくださったそうです。
主人が亡くなった時、先生は岐阜かどこかへ布教に行ってらしたが、どなたかから聞かれたのでしょう。高岡までの車中で、ずっと主人のことを話しておられたそうです。あとで吉村総務局長さんから、そうお聞きしました。
説法中の涙
ご説法中に泣かれることがありました。私が聞き始めて2、3年くらいたってからでしょうか。一生懸命話しておられるのに、私らが真剣に聞かんもんで、「はがやしい(歯がゆい)。何で聞いてくれんのか」と思われてではないでしょうか。
黒板に字を書いておられる時、泣いてらっしゃるお姿が分かって、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そういうことが2回ほどありました。
説法中、ボーッと聞いている人があると、参詣者にポーンとチョークを投げられることもありました。そして、
「びっくりしたやろ」
とか、
「目、覚ましたか」
とおっしゃいます。
「私らがたるんどるから、見るに見かねて先生はなさったんやろうね」
と皆で話しておりました。
全く蓮如上人のご遺言、
「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」
「どうか皆さん、生きている時に、阿弥陀如来の広大な救いにあってもらいたい。このことばかり、朝から晩まで、晩から朝まで思い続けているのですよ」
という御心と同じ、高森先生の優しさも厳しさも、そのお気持ち以外にないのだなあと、しみじみ、もったいないばかりでした。

