高森顕徹先生と親鸞会の50年

親鸞会結成以前(滋賀県 その6)

Yさん(滋賀)

仏法聞かんならん

私は食糧難の時代に、わずか1歳の三女を、ジャガイモを食べさせたのが原因で、死なせてしまいました。発育不良のイモには、毒性の強い成分が多く含まれているそうですが、当時、そんな知識はありません。そのころは、よくジャガイモで子供が死んだのです。
何とか助けたいと日赤病院へ行きましたが、薬が手に入らないという。なすすべなく、1週間ほどで、亡くなってしまいました。かわいそうでした。

「自分も死ななければならない。ほかの子供の手が離れたら、仏法聞かんならん」
と、いつも思うようになったのです。

それから2年たったある日、夕方4時過ぎだったと思います。近江町(現・米原市)高溝にある親里からの帰り道、在家でのご法話を終えられ、5、6人に見送られている高森顕徹先生のお姿を初めて見掛けたのです。

何と尊い先生やなーと思いました。田舎のこと、近所で変わったことがあると、大体分かります。翌日もご法話があると聞いていたので、明日はお参りしようと心に決めました。44歳の春のことです。

「信前・信後がハッキリする」

次の日のご法話は、高溝の在家で開かれました。30分ほど自転車を走らせて駆けつけると、家の中はいっぱいの人で、庭先で聞かせていただきました。

説法は、聞法求道をお産に例えられて、
「妊娠すると、1カ月、2カ月、3カ月とおなかがだんだん、大きくなります。しかし、12カ月、13カ月とずっと子供がおなかに入ったまま、ということはありません。必ず、生まれる時がある。そのように、必ず信心決定した、という時があるのです。
赤ん坊が生まれると、おなかがぺちゃんこになる。産前・産後があります。信前・信後は、それ以上にハッキリする体験です。すくわれたらハッキリするんです。」
と教えてくださいました。

独身時代、若い女性の集まりで、少しは仏法を聞いてはいましたが、"信心決定"ということを、この時初めて知りました。

「愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(教行信証)

「いかにも一日も片時も急ぎて信心決定して」(御文章4帖目13通)

「あわれあわれ存命のうちに、皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」(御文章4帖目15通)

阿弥陀仏にこの世で救われることがあるとは、びっくりしました。

親鸞聖人も蓮如上人も、このこと一つ教えられたんか。信心決定あれかし、信心決定あれかし、耳に残りました。高森先生も、このこと一つ、いつもいつも言われる。
ご説法前の讃題で、必ず言われました。存命のうちだ。死んでからでないぞ、命のあるうちだ、急がねばならん。

「私の母も知らん、みんな知らん。言わなアカン、よく聞かなアカン」
と思いまして、次の日も能登瀬という所のご法座へ、下の子供を自転車に乗せて行きました。"人間の実相"のご説法でした。

翌日の寺倉という所でのご法話が、この4月、滋賀での最後のご縁でした。次に滋賀へ来られるのは8月と聞き、
「そんな先まで仏法聞けないなんてどうしよう」
と思い、高森顕徹先生あてにお手紙をしたため、ご法座のお世話をしていた人にお願いして、渡していただきました。

すると、先生が富山から葉書が届きました。
その中に、
「蛇の出る
   穴にま向きの 蛙かな」
とあり、"人間の実相"のご説法で聞かせていただいたとおり、
「これが私の姿だ、さあ聞かねばならん」
と思って、8月を待ちました。

それからは外出先で法座の案内を見つけると、どこへでも出掛けました。しかし、高森顕徹先生からお聞きしたような、"一念の信心"のお話はありません。

「この布教使も違う、この人も違う、こんな話ではアカン」
とほうぼう回って歩きました。

8月になり、高森顕徹先生は、『往生要集』の幻灯(スライド)を持ってきてくださいました。私は、スクリーン用の白い布を持って歩く係りをさせていただきました。
ご説法のお声は大きくて、拡声器がなくても、一町(3000坪)くらいは響きました。

――滋賀でのご布教からお帰りの日はいつも、Yさんのお宅に寄られたと聞きました。

はい。高森顕徹先生は当時、米原駅を夜中の1時50分に出る特急で富山へお帰りになっていると聞いたのです。

彦根の物生山という所でのご法話を終えられたあとは、いつも真夜中の1時ごろに米原駅へ向かっておられたそうです。重い荷物を持たれ、4、50分も歩かれて。

私の家は、米原駅から徒歩5分ほどの場所にありましたので、ご法話のあと、早めにお越しいただいて、帰られる時間まで、うちで休んでただくことにしました。ご縁を結んだ年の8月からです。

お休みのためにお招きしたのですが、十数人ほど、お見送りのために一緒に来られました。先生は、いつもギリギリまで、食事をされている時にまで、いろいろとお話ししてくださいました。

ある晩は、獅子の子育てのお話でした。獅子は多くの子供を生みますが、谷底へ何回も何回も突き落として、はい上がってくる獅子だけを育てるという話です。
先生には今日まで、時に優しく、時に厳しく、教えて頂きました。

 

 親鸞会結成以前「参詣者であふれた寺」(滋賀県7)

関連記事一覧

親鸞会結成以前(富山県編)

親鸞会結成以前(石川県編)

親鸞会結成以前(滋賀県編)

高森顕徹先生・経歴

浄土真宗親鸞会
〒939-0395
富山県射水市上野1191
TEL 0766-56-0150
FAX 0766-56-0151
E-mail:info@shinrankai.or.jp
新着記事
仏法はすべて”私のため”
学生として母として 道を開いた33年
夜を徹した御示談 あの情熱、能登に再び
罪障功徳の体となる。仏智不思議を感佩
アニメの聖人に秘事から救われた
原爆投下のあの日は、どんな言葉でも語れない
逃げても逃がさぬ大悲の網に
企業戦士が一転、目覚めた団塊の光
光あればこそ苦労が苦労でなくなった
家庭ご法話での温かいお言葉
岐阜県編6
岐阜県編5
岐阜県編4
岐阜県編3
岐阜県編2
岐阜県編1
青年部発足(昭和38年)
真実の教えを分かりやすいマンガで