高森顕徹先生と親鸞会の50年

親鸞会結成以前(滋賀県 その5)

Mさん(滋賀)

善き友がなければ独りで(昭和26年)

高森顕徹先生のお話を熱心に聞いていた両親の影響で、私も20ごろから、聴聞するようになりました。同じ梅ヶ原の在家の法話にも、よく行きましたよ。
近くで法話を開いておられる方がたくさんありました。昭和26年ごろです。

「10を3で割り切れるか」
と、先生から尋ねられたことがありました。
「割り切れません」
とお答えすると、
「10メートルのひもは、三つに切れる。信心は、頭の善しあしではない」
と言われました。

当時から私は、オートバイで参詣していました。125㏄の当時最大だったオートバイです。自転車もなかなか買えない時代に、一生懸命お金をためてね。好きでしたから。

高森顕徹先生もオートバイが好きでした。私が先生をオートバイに乗せることになったのです。

先生が駅へ着かれるのを、時刻表で調べて、オートバイで迎えに行きました。同じ滋賀県でも、いろいろな所で説法があったので、木之本へも、虎姫、高月にも。

高森顕徹先生が運転されることもありました。その時は私が、後ろに乗って、先生の拡声器とカバンを抱えるのです。
先生は歌もお好きで、流行歌のカセットテープを、私と貸し借りしてくださることもありました。

控室へも、よく入れていただきました。先生に出されたお茶菓子なのに、私にも勧められ、一緒に頂きながら、話をしてくださいました。

説法が終わると、夜中に寝台列車で、富山へ帰られます。午前一時に米原駅出発でしたが、TさんとKさん、Yさんたちが毎回、お見送りをされるのです。私も必ず、行きました。

駅のホームで列車を待っておられる間も、私は先生にぐっと近づいて、お話しさせていただきました。列車が到着すると、停車している間に、私がカバンや拡声器などの大きな荷物を持って、車内の網棚まで運びました。そこで握手して、
「元気でいなきゃアカンぞ」
と言われたことを、よく覚えています。

初めのころは、20代の男といえば、私一人。それを先生も気遣ってくださったのか、
「友達がいなかったら、独りで求めなさい」
とよく、教えてくださいました。お帰りの列車の中で、メモ書きにしてくださったこともあります。

「たくさんの人が聞いていても、みんなワラ人形だと思ったらいい」
ともおっしゃいました。一対一のつもりで聞け、というご教導でした。

拡声器を毎回、準備

先生が当時、持って歩かれたのは、ダンボール箱2つ分もある拡声器と、教誡服や身の回りの物を入れておられたカバンでした。

拡声器は、厚さ1センチほどもある革のバッグに入っていました。それはそれは重いの何の。

オートバイで会場に着くとすぐ、拡声器の準備をしました。これが私の役目でした。
スピーカーは2つ。1つは演台の上に置き、1つは部屋の隅に置きました。演台の上のスピーカーには、ボリュームのつまみがあり、先生がご説法中に調整されました。

コードを天井にはわせたことも、よくありました。昔の製品ですし、だれかが踏んづけたり、ねじれたりすると、壊れて音が出なくなりますからね。コンセントも随分、抜けやすかった。
"こりゃあ、電気の知識も身につけんといかんな"
と思ったものです。

どこの会場も超満員で、「正信偈」「教行信証」や「御文章」の親鸞聖人、蓮如上人のお言葉をいつも出されて、力一杯、命一杯、お話をされました。

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」(正信偈)

この世から阿弥陀仏に救われた喜びを親鸞聖人は、正信偈の冒頭に書かれています。

「教行信証」にも

「噫、弘誓の強縁は、多生にももう、あいがたく、真実の浄信は、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
 もしまた、このたび疑網に覆蔽せられなば、かえりてまた、曠劫を逕歴せん。
 誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ(『教行信証』)」

「ああ……なんたる不思議か、親鸞は今、多生億劫の永い間、求めつづけてきた歓喜の生命を得ることができた。これはまったく、弥陀の強いお力によってであった。深く感謝せずにおれない。もし今生も、無明の闇の晴れぬままで終わっていたら、未来永遠、浮かぶことはなかったであろう。なんとか早くこの真実、みんなに伝えねばならぬ、知らせねばならぬ。こんな広大無辺な世界のあることを」

ご説法中に先生の歩かれる場所がとても狭く、先生の持っておられるマイクと、演台のスピーカーが近づきすぎて、ピーッというハウリングが起きるのです。

その時、先生はサッと、マイクの向きを変えられる。同時に、演台の上のスピーカーの向きを私が変えるんです。

ハウリングがよく起きる時は、先生が、
「スピーカーの位置を変えなさい」
と、私に目で合図されました。ところが、近くに座っているつもりでも、参詣者が多すぎて身動きとれず、演台までも行けないことがあって困りました。


 親鸞会結成以前「仏法聞かんならん」(滋賀県6)

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高森顕徹先生・経歴

浄土真宗親鸞会
〒939-0395
富山県射水市上野1191
TEL 0766-56-0150
FAX 0766-56-0151
E-mail:info@shinrankai.or.jp
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