高森顕徹先生と親鸞会の50年

親鸞会結成以前(滋賀県 その3)

Hさん(滋賀)

昭和30年の夏 滋賀県米原の寺でのこと

私は、全く仏法を知らずに育ちました。ただ一つ、覚えているのは、小学生の時のことです。
母が仏壇に合掌していたので、私も横に座りました。仏壇に置かれていたお写真に気づき、
「これはだれ?」
と尋ねた時、母は、
「親鸞聖人という方やよ。とても偉い人なんや」
と教えてくれました。

家の宗旨が浄土真宗だとも、なぜ偉い方なのかも分かりませんでしたが、母の言葉は、今でも耳の底に残っています。

Hさんが、高森顕徹先生出会ったのは、昭和30年の夏である。高森顕徹先生は26歳、Hさんは30歳。当時、近江長岡駅(山東町)の近くで、精肉店を開いていた。

父は特に、仏法熱心だったわけではありませんが、年を取ったので、「そろそろ仏法を聞かにゃあいかん」と思ったのでしょう。どこかで、
「若くて、とてもいい説法をする人がある」
と耳にして、
「一度、聞いてみたい」
と言ったのです。

私は、父を単車に乗せて、説法がある米原の寺へ連れていきました。
「私もついでに聞いていこうか」
と思ったのが、最初です。

『正信偈』のお話でした。
高森先生は、

「帰命無量寿如来
  南無不可思議光」

と、冒頭二行を黒板に大書され、説明されました。

内容は、今日のご説法と全く変わりません。
「『親鸞は阿弥陀仏に救われたぞー、親鸞は阿弥陀仏に助けられたぞー』と二回、同じことを繰り返されたのは、幾ら叫んでも叫び足りない、無限の喜びを表しておられるのだ。これが人生、出世の本懐です。この身になるために、人間に生まれてきたのですよ」
と、親鸞さまのお言葉どおりを詳しく教えてくださいました。

「『正信偈』には、何と深い意味があるのだろう」
と思いました。母が、
「親鸞聖人は偉い方」
と言った理由が初めて分かったのです。

「慶ばしきかな。
 心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。
 深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。
 慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。 」(親鸞聖人)

(心を不倒の仏地に樹て、不思議の世界に生かされた親鸞は、なんと幸せ者なのか。ますます阿弥陀如来の慈愛の深きを知らされ、師教の高恩を仰がずにおれない。 )
と、阿弥陀如来のご恩の深さ、燃えるような親鸞聖人の喜びのお言葉を教えて頂き、「年寄りの聞くのが仏法、ではなく、どんな人でも聞かねばならない教えだ」
と、一ぺんでほれ込んでしまって。それからは、父よりも熱心に聞き歩くようになりました。

バイクで参詣者を送迎

そのころ、高森顕徹先生は米原方面に来られると、一週間ほど続けて説法されました。
肉屋を営んでいたので、参詣できないこともありましたが、聞けば聞くほど、聞かずにおれなくなり、やがて店を他人に任せて、2、3日、連続で聞法しました。一週間全部聞かせていただいたこともあります。

法座の昼休みになると、高森先生は、よく声をかけてくださいました。先生は、バイクのハンドルを握るポーズをとられて、
「今日、乗ってきたんでしょう?お昼の間、ちょっと貸してもらえますか」
と時々、言われました。

最初は、
「先生もお若いから、バイクがお好きなんやなあ」
と思っていました。でも、ご自分が楽しむためではなく、有縁の人を迎えに行っておられたのです。

「みなみな信心決定あれかし」
「一人でも多く、聞いてもらいたい」
ということに違いありません。休んでいただかねばならない時間に、申し訳ないことでした。

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高森顕徹先生・経歴

浄土真宗親鸞会
〒939-0395
富山県射水市上野1191
TEL 0766-56-0150
FAX 0766-56-0151
E-mail:info@shinrankai.or.jp
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