高森顕徹先生と親鸞会の50年

親鸞会結成以前(滋賀県 その2)

Tさん(滋賀)

のどから血を出されて

高森顕徹先生の説法があるたびに、参詣者はどんどん増え、寺いっぱいの人で、まるで、ご遠忌法要のようでした。先生は、ご自身の疲れも忘れてのご化導でした。
朝食の時間から、お宿へ同行が聞きに詰めかけるため、いつも食事は、お話をしながら済まされるのです。

朝・昼の説法が終わるとすぐ、座談会が始まりました。あまりの熱意に、帰る時間を忘れて聞かれる人も多くありました。先生が真剣ですので、私たちも懸命だったのです。
座談会は、夜明けまで続いたことも、何回もありました。

「毎日続く説法で、のどは真っ赤、声はかれ、血が出た」
とおっしゃったこともあります。
私たちの後生の解決一つに、ご説法くだされている。申し訳なく思わずにおれません。

ある時、こうおっしゃいました。
「このごろの寺には、仏法がない。少しも真実の教えが説かれていない。たばこ屋で、たばこを売っていないのと同じである。たばこを売ってこそ、たばこ屋だ。浄土真宗といいながら、『信心正因、称名報恩※』の親鸞聖人の教えを踏みにじり、『念仏さえ称えておれば、死んだら極楽』と言って、人々を迷わしている。

※信心正因-信心一つで助かるということ。
※称名報恩-称える念仏は弥陀に救われたお礼の言葉ということ。

まず世間にいま流布して旨と勧むるところの念仏と申すは、ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏とばかり称うれば皆助かるべきように思えり、それはおおきに覚束なきことなり。 (御文章)

と、蓮如上人はハッキリ教えておられます。

「このままで助かっている」と教えたり、葬式屋になったりして、浄土真宗をねじ曲げている者ばかり。親鸞聖人の教えはどうなっているのか。みんなだまされている」

高森顕徹先生がお座敷(控室)にお入りになると、同行の一人がすぐに行って、申し上げたそうです。
「先生、お寺に世話になっておりますので、寺の悪口を言わないでください。お願いいたします」
すると、先生は、
「仏法を正しくお伝えするのは、私の使命です。聖人の正しい教えをお伝えして、寺が借りられなくなってもかまわない。私は辻説法でもする。縁のある方は聞いてくだされるでしょう」
とおっしゃいました。

説法会場は戦場

朝・昼・夜とご説法されて、そのあと座談会が続く。気がつくと、夜が白々と明けて、
「いけない、先生に休んでいただかねば」
と思ったことがよくありました。

昼のご法話が終わって、帰ろうとする人があると、玄関で、
「後生が何ともならんのに、帰ろうとされるんですか。よう帰れるなあ」
と言われました。

普通の布教使と違います。
「後生の一大事、はやく解決しなさい」
「往生一定とハッキリスッキリするまで聞き抜きなさい」
「必ずハッキリします。弥陀の本願まことだから」
と、私たちの後生だけを念じておられることが、それはもう、ヒシヒシと分かりました。だれでも感じました。
汗みどろになっておられた時に、お風呂を勧めても、
「戦争場に来ているのと同じだから、入らない」
と、おっしゃったこともあります。

布団の下は無間の火城

東円堂という所に、廣島さんという人がありました。廣島さんの家で、高森先生のご法座があった時、お世話される方で、長五郎さんという人がありました。

ご説法も終わり、先生と同じ座敷に休まれた時のことです。夜中に高森先生は、疲れでお休みになられなかったのか、そばで寝ている長五郎さんの胸をたたいて、
「長五郎さん、床の下は無間の火城ですよ。ぐうぐうのんきに寝ているけれど」
とおっしゃったそうです。

長五郎さんは、
「ほんとに驚いた」
と言っておられました。

「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。」(御文章)

空のご法礼袋

宇賀野の蓮成寺でのご説法で、ある同行が高森顕徹先生にご法礼をお渡しした時、中にまだ何も入れていなかったことがありました。
気づいた人が、私に、先生にお尋ねせよと言うので、申し上げたところ、
「私のような者の話を聞いてくだされるだけでも、大変うれしく思っている」
と言われました。
ほかにもいろいろ、失礼がありましたことを、大変申し訳なく思っております。

箕浦の大雪

ある冬の日、箕浦という村で、高森顕徹先生の法座がある予定でした。
ところが、すごい大雪で、一面真っ白になったのです。電信柱があるので、道と田んぼの境が何とか分かるほどでした。

「今日はとても、ご無理だろう」
と思っておりましたが、高森先生は、来てくださったのです。
「今日はいらっしゃらないと思っておりました」
と申し上げると、先生は、

「無常だからなあ、みんなの後生を思ったら、じっとしとれん。うちにはおれぬ」
と言われるのです。

「『火の中を分けても
    法は聞くべきに
     雨風雪はもののかずかは』

と蓮如上人もおっしゃっているではないか。取り返しのつかぬ一大事を何と思うか。一日も片時も急がなければならない」
とも、おっしゃいました。

ホントウに不惜身命、先生は命がけでした。親鸞さまの恩徳讃そのまんまでした。

「如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし  師主知識の恩徳も  骨を砕きても謝すべし(恩徳讃)1

「弥陀と師教の大恩は、身を粉に、骨砕きても足りませぬ。微塵の報謝もならぬ懈怠なわが身に、寝ても覚めても泣かされる」

 親鸞会結成以前「米原の寺でのこと」(滋賀県3)

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