高森顕徹先生と親鸞会の50年
親鸞会結成以前「この先生は違う」(富山県)
Hさん(富山)
横と縦の線をかかれて
姑の里が福光(富山県福光町)だったもんで、毎年正月に里帰りして、一晩泊まってくるんですが、その年は一泊しても二泊しても帰らない。
風邪でも引いたんかと思って、電話したら、
「今、若い先生が、黒板に字を書かれて、お釈迦さまのご一代を聞かせてくださっている」
と言うのです。うちに帰ってきてからも、
「仏法をあんなに順序正しく説かれる方はおらん。これまで、お釈迦さまがさとりを開かれたお年さえ聞いたことなかった。あんたらも一ぺん、お参りしてこられ」
と言います。
早速、主人(故・久作さん)と2人で、福光の五宝町の寺であった高森顕徹先生のご法話にお参りしました。昭和31年のことです。
高森顕徹先生は、縦の線と横の線をかかれて、阿弥陀仏の本願を説かれました。主人も感動して、
「この先生を、うちにご招待しなきゃならん」
と言って、あくる日、お願いしたんです。先生は、
「今年はもう予定がいっぱいだから、来年にしてください」
と言われました。
農業機械なんかはない時代で、田んぼ仕事は全部、手作業でしたから、農繁期と重ならんよう、でも一日も早くと、主人は、
「一月にお願いします」
と申しました。
夜中まで、早朝から「決勝点まで進め」
私は、仏法を大事にする母の影響で、小さいころから寺に通っとりました。でも、高森先生のご説法をお聞きして、
「やっぱり、この先生は、普通の坊さんと違うわ」
と思いました。仏法の根幹から話されて、
「必ず救われる」「ハッキリする」「一念で信心が完成する」
とおっしゃる。そんなこと、それまで聞いたことなかったから。
しかも、親鸞聖人、蓮如上人の根拠をあげて、ホントによく分かるように説いて下される。
難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり(『教行信証』)
「弥陀の誓願は、私たちの苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの波の絶えない人生の海を、明るく楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが人生の目的だ」
「他力の信心ということをば今すでに獲たり-乃至-今こそ明らかに知られたり」(御文章)
「阿弥陀如来より賜る他力の信心を、今獲させていただいた。今こそハッキリ知らされた」
このように、根拠を上げられる話は聞いたことがありませんでした。
「この決勝点(タテの線)まで聞け。求めなさい。
救われたら火にさわったようにハッキリします。救われた本人がハッキリするんです。蓮如上人が、今こそ明らかに知られたり、と仰有っているでしょ」と、いつもいつも教えて頂きました。
それからは、小矢部とか福光、城端、富山県内を聞き歩きました。
昭和32年の1月中旬ごろに、うちに初めて、高森顕徹先生を招待しました。
その時、先生に入っていただく部屋もなかったもので、家族で話し合って、お仏壇の裏にある部屋を片付けました。戸も入れて、控室にしたのです。今思えば、あんな粗末な所に来ていただいて、申し訳ないことでした。
高森先生は、夕方から来られて、7時ごろから夜の勤行、初夜が終わったのが9時過ぎ。それから座談会が始まりました。終わると、11時か12時でした。
それからまだ、茶の間の囲炉裏に来られて、家の者だけに話をされました。夜遅いのに、子供らもよく来るので、子供にも話をしてくださいました。長男がまだ、12か13歳だったと思います。"朝事"(朝の勤行)は8時ごろから始まりました。雪が深い時で、参られる人は大変だったと思います。
ご法話には、村の人も参られました。若いモンも年寄りも、みんな参詣してました。そして、
「こんな先生、ほかにおいでんわ(おられない)」
と言うとりましたね。
親鸞聖人の教えを説かれることに、命かけていらっしゃる方やと思いましたよ。
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